哀しき定めその先には。
人は、自分の理解の範疇以外のことは反射的に否定し拒絶してしまう生き物なのか。最近、人は動物よりも劣っているのではないかと思う。何よりも劣っているから嘘をつき自然を破壊するのだと。人間界は弱いものだらけだ。
愛さないことよりも愛することのほうが遥かに怖い
何気なく愛しているふりをすることは出来るけど、本当に人を愛することは無意識にとても勇気と力がいる。裏切られる怖さや、裏切られた怖さからそれを遠ざけるのは自然の道理で、それでも変わらず愛することが出来ることが最も大切なこと。
男運という言葉が存在するなら
もちろん女運という言葉も存在する。
男運の悪い女性とともに最近は女運の悪い男性に目が向く。実は男運の悪い女性と同じくらい存在するのではないか。男運の悪い女性ばかりが話題になる気がしますが、女運の悪い男性もなかなか大変である。
理想の40代を精神的に考える
少なくとも自分の母親のような40代には絶対になりたくない。そう簡単に子は親を嫌いにならない。身近な人に尊敬されるような40代が美しい。それは身なりや見栄えと、それよりはるかに、40代の心について考える。最も精神的な美的意識を持つ40代に出逢いたい。数あるたくさんの出会いの中で、たった1人だけとても勇気や輝きを与えてくださった方がいました。その日の出来事は今でも色褪せない。精神的に美しい人は、ずっと色褪せず、じ心に残り続けるのです。それは女性としても、人としても、1番、素敵なことなのではないかと思うのでした。
目に見えない友情
30歳近くなり、友情というものについて考える。
とあるサイトに、「自分より精神性の低いものへの慈悲」のように書かれていた。それは正しいのか?
それだと、所謂精神性の低い人から見たら友人ではなくなってしまうのではないか?
そういうことではない。きっと、どちらかがダメなときに励ましあい助け合うことを指すのだろう。
ということは、離れていても、友情というものは育まれている場合がある。例えば突然連絡が取れなくなっても。信じる心や慈悲の心があれば、いつかはそれも思い出となる時が来る。
偽物は本物を騙せない
本物は偽物を騙さない。
周りの意見とあわないとき
自分の意見と周りの意見、家族や友人と意見が合わないときってどうしますか。
私は自分が共感してもらえないと悲しくなってしまうタイプです。
意見を割愛できないのは私は単純にどちらかもしくは両方の経験不足だと思います。
年齢も関係ない。共感が出来るだけ若い方が柔軟かもしれません。
心は柔らかい方が絶対にいい。